2008年3月27日木曜日

新聞広告「日立製作所: つくろう。(心の言葉を伝える装置篇)」

一見するととても地味な広告だ。

目を引くような写真もなければ、フォントも黒一色のゴシックで、キーワードを強調しているわけでもない。よく見ると、文章の背景にはパルスを表しているような曲線が描かれているが、決して目立つものではない。この広告の素晴しさは、その文章の出来に尽きる。

まずは手法的なことから。僕が素晴しいと思うのは、その控え目な、抑制の効いた文体。新聞では本文においても、曖昧な主観が目障りに感じることの多い最近では珍しいほどに、控え目なところが好ましい。この広告は、日立製作所のHPを見ると、「小説」をうたっているし、企業の広告なのだから主観が入って当たり前なのだが、読み手を不快にさせない、絶妙な距離感というか、主観の入れ方をしていると思う。

内容は、僕が弱い家族もの。ALSという病気の患者とその介護者のために、脳の血流を利用した意思伝達装置開発に尽力する日立の技術者を描いている。抑えた文体と広告全体の雰囲気は、介護というテーマともの凄く合っているような気がする。介護の現場というのも、過度な装飾やコミュニケーションが出てくる場ではないからだ。文章のクライマックスは、心の言葉を伝えるために、少しでも精度の高い装置の開発に全力を注ぎながらも、実は装置そのものの精度より、大事なものがあることに気づく、というところ。患者と介護者の心のケアのための技術というのは、決して社会的にオシャレでもなければ、目立つことも少ないかもしれない。でも、その意義はとてつもなく大きいということをこの広告は静かに、力強く伝えている。

この広告、新聞というメディアにとてもマッチしていると思う。テレビやラジオでは、この感じは伝えきれない。因みにこの広告「つくろう。」はシリーズで、過去に2つの別テーマのものがあるが、残念ながらそちらは、CM色が強くなりすぎていて、ちょっと鼻につく。

2008年3月23日日曜日

最後の記憶

名古屋国際女子マラソンが行われた3月9日、僕は名古屋にいた。

正月に会いに行き損ねた祖母を訪れるためだった。その日、父と一緒に祖母の部屋を訪ね、20分ほど話をしただろうか。それが祖母と過ごした最後の時間になってしまった。

そのときのことを、できる限り詳細に記しておこうと思う。

・訪れたのは、祖母の昼食時間が終わった午後1時過ぎ。
・部屋に入ると、祖母はイヤホンでテレビを見ていた。
・僕の顔を見て、だんだん歳をとってきた、と言った。僕はそりゃそうかもしれない、と答えると、学生っぽさがなくなってきた、というようなことを言った。
・ちゃんとご飯を食べているか?大阪はお金がなくても楽しくやっていくことができるからねぇ(これは割といつもの台詞)。
・もう私には、何もあなたに買ってあげることはできないけれど、その分、お父さんにしてもらいなさい。
・日本ハムはおいしい。特にソーセージ。食べる分だけ出して、残りは凍らせておけばいつでも食べられるし、食べるときにはトースターで熱したら脂分も落ちる。
・猪子石、坂下の前には、家を借りていた。そうした家でもあれば来てもらえたのに。
・テレビのチャンネルを、マラソン中継に変えた父を見て、もうスポーツは全く見なくなってしまった、と言った。
・最近の陽気について話をして、桜を見に外に行ったりできるかを聞くと、無理だと。ただ、施設内の桜を皆で見に行くのだ、と言った。

本当に最後の最後まで、自分のことより人のことを心配し、どんな状況でも、凛とした気品を備えた祖母だった。冥福を祈る。

(追記)
通夜と告別式の間の夜、僕は仏前で父と夜を共に過ごした。その時話したことで、印象に残っていることを書いておこうと思う。

父は退職後、ほぼ毎週のように祖母に会いに行っていた。その時には、どんなことを話していたのかを聞いてみた。すると、まあ、当たり障りのない話だ、とのこと。自分たちのことより、周りの人たち、お互いに知っている人の近況などを話すことが多かったらしい。

父は、そういった話の中で、祖母の中の「女」としての部分が感じられて、「自分の母親はこんな女だったのか」ということを感じたらしい。具体的には、あまり詳しく聞くことはできなかったが、自分が生活を共にしている時には、全く「女」として見ていなかった母親の、そうした部分がこの歳になって、お互いに利害的なものがなくなったことで見えてきた、というようなことを言った。

僕が心配だったのは、父が祖母に会いに行くことがなくなることで、生き甲斐のようなものを失い、父があまり外に出なくなってしまうのではないか、ということだった。そこで、父に祖母を失うということはどういうことかを聞いてみた。

すると、父は、飼っている犬が亡くなった時の話をした。犬が死んだところで、その時に感じる悲しみは、それほど大きなものではない。だが、散歩に行かなくなったり、雷の日に大丈夫か心配することがなくなったり、という小さなことが積み重なって、次第にいなくなった寂しさがわかってくる・・・。大体こんな話だったと思う。

犬で例えるとは、という気もしたが、言いたいことは良くわかる。そうしたことは、その時よりも、後々になって、自分の生活の中に、組み込まれていたことが無くなっていくことで、より強く感じるようになるものだと、僕も思う。

亡くなった者に礼を尽くすことも大切ではあるが、生きている者をより大切にしなくてはならない。

480円の幸せ

最近銭湯に通っている。

実家を離れて15年。会社の寮に入っていた3年間を除けば、毎日シャワーで過ごしていて、何の不満も持っていなかったけれど、腰痛が悪化し通い始めて1週間。結構はまってしまった。

電気風呂や冷水風呂は、以前ほど良いとは思わなくなったけど、腰を含めた体を伸ばして入ることのできる風呂というのは良いものだ。通い始めて腰痛もマシになってきたように思う。

入浴料390円、風呂上りに飲むブリックパックの野菜ジュース90円の、計480円で感じる小さな幸せ。改めて歳をとったことを感じる。

2008年3月16日日曜日

ラグビー日本選手権「三洋電機 vs サントリー」

久しぶりに、まともにラグビー中継を見た。

三洋の良いところばかりが目に付いたけど、悪くない内容だったと思う。以前(といっても、神鋼の連覇中だから、かなり前)は、三洋の外国人選手に頼ったチーム作りがあまり好きになれなかったけど、今のチームは割と好きかもしれない(でも、やはり今も日本人選手の影は割に薄い)。あんまり清宮が勝ち続けるのもどうかと思うし。

年齢以上にふけて見えるトニー・ブラウンのキックやゲームメイクも確かに凄いけど、日本代表的に「こういう奴がいれば!」と感じたのは、ナンバー8のホラニ。あと、チームとしての徹底した泥臭い感じすらするディフェンスは素晴しかった。

あー運動がしたい。

2008年3月15日土曜日

書籍「これは恋ではない / 小西康陽」(幻冬社)

しばらく本をもらってばっかりだった父に贈る本はこれにした。

ちょっとこれまでのものとは全く毛色が違うけど、間違いなくこの数年で僕が最もよく読んだ本だから、思い入れはかなりのものだと思う。僕は本をそれほど繰り返して読む方ではない。でも、この本だけは別格。どこからどれだけ読んでも良い、というところが素晴しい。ベッドサイドにおいておくのに最適な本だと思う。

この本、スクラップブックのような構成で、エッセイあり、ライナーノーツあり、アルファベット順の人物辞典あり、短編小説ありとまさに何でもあり。全編に共通しているのは、全て褒めている、ということ。だからといって、何でもかんでもというわけではなくて、彼のセンスのよさが伺えるものばかり。例えば僕は、映画や音楽の感想をこのブログに書いているけど、とても全部を褒めるというわけにはいかない。でもそれは、正直さの問題ではなくて、観たり聴いたりするものの量の問題で、彼がこれまでに観たり聴いたりしてきた映画や音楽の量は莫大であることは間違いなく、その中で自分が本当に良いと思ったものについて、思い入れをもって書いているというのは本当に素晴しいことだと思う。批評家じゃないんだから、当然かもしれないけど、ネガティブなエネルギーというものが全く感じられない。できることなら見習いたいものだと思う。

逆にこれを読むと、自分の至らなさばかりが目について、落ち込んだりすることもあるけど。父の反応や如何に。ちょっと楽しみではある。

2008年3月2日日曜日

映画「Sweet Rain 死神の精度」

んー、悪くないが、良くもない映画だと思う。

何というか、全体を通して造りが安っぽいのが痛い。なんだかテレビドラマを見ているかのよう、とでも言えばいいだろうか。

確かに金城武は格好良いが、演技そのものは微妙なところ。脚本もどうかとは思うけど。小西真奈美は・・・あくまで僕の趣味だけど、全然かわいくない。どちらかといえば、彼女は女性に好かれるタイプじゃないかと思う。というわけで、こちらもそれほどのインパクトは無い。映画の劇中で使われる歌を、登場人物の名前でリリースするということだが、はっきり言って、それほど聴いてみたいと思わせる代物じゃない。

残念ながら、あまり人様に胸を張ってお勧めできる映画じゃない。